第68回:市民開発の本質:私の考察
掲載日:2024年3月22日
執筆者:株式会社スクウェイブ
カウンセラー
和田 柊平
近年、ノーコード・ローコードツールなどを活用して業務用アプリケーションを開発する「市民開発」の概念が徐々に広まりつつある。過去1年分の日経コンピュータでは、単なる合理化・省力化といった業務改善にはとどまらない真のDXを市民開発によって成し遂げた企業の事例が毎号のように取り上げられていた。手前味噌ではあるが、当社もまた業務において「kintone」や「FormBridge」といったローコードツールを活用しており、その点では市民開発先進企業といってもよいはずだ。ノーコードツールを用いてアプリケーションを作成してみようという趣旨のビジネスコンテストやハッカソンも開催されるようになっている。個人的な話ではあるが、せっかくなら入社前にアプリ開発を一度経験してみたいという思いから、当社に入社する直前期に、ノーコードツール「Bubble」を用いて社会課題を解決するためのアプリケーションを作成してみようという趣旨のハッカソンに参加した経験もある。
市民開発が注目を浴びている要因には、例えば現場に立つ社員の観点を迅速かつ柔軟にシステムに反映できる点や、デジタル人材不足やそれに伴うデジタル人材の人件費高騰といった問題の解決や、裁量を与えることによる現場社員の主体性・コミットメントの向上が見込める点などが挙げられる。しかし、日本企業における市民開発の成功度は二極化しているのが現状だ。この理由を紐解いてみよう。
第一の要因は、EUC(End-User Computing)でみられた適切なプロセスとガバナンスの欠如の経験であろう。1970年代から90年代にかけて流行したEUCでは、独自のエクセルファイルやアプリケーションが乱立しスパゲッティ化してしまったため、組織全体のデータ統合やアップグレード、保守(特にユーザが異動や退職した場合)が困難になったという。加えて、EUCにおいてはしばしばセキュリティリスクが過小評価されており、機密情報の漏洩やセキュリティ侵害のリスクが高まったことも指摘されている。これらの苦い経験が、少なからぬ企業が市民開発を躊躇させる要因となっていることは間違いない。だが、E.H.カーが、著書『歴史とは何か』(Carr, E.H., 1961)で述べたように、「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」なのである。だとすれば、取るべき行動は、過去のEUCでの苦い経験から逃げずに、EUCを知る世代のベテランから教訓を得て、どのように市民開発ガバナンスに活かすかを考えることのはずだ。
第二の要因は、スキルおよびリソースの不足である。市民開発に限らず、DXを成功させるためには、適切なスキルを持った人材の育成が必要である。但し、リスキリングに対して、「自分の仕事には関係ない」「今の仕事で手いっぱいだ」「苦労して学歴を手に入れたのに何で今更勉強しないといけないのか」といった思いから抵抗する層が一定程度現れることは予想されるので、リスキリングを楽しく実りあるものにするための取り組みが必要なのは言うまでもない。実際、いくら政府がリスキリングの重要性を説き、リスキリング支援策を打ち出したところで、それらが活用されていないのが現状だ。
しかし、私の見立てでは、最大の要因は、企業文化・組織風土にある。制度上は市民開発を推進する体制が整っていたとしても、社員が乗り気でなければ市民開発は進まない。そして、そのカギは、プログラマーで著述家としても知られるエリック・レイモンドの“How To Become A Hacker”で表現されているハッカー精神であろう。
“How To Become A Hacker”は、オープンソース文化やハッカー精神を称揚し、シリコンバレーの文化に多大なる影響を与えたウェブサイトである。ITに憧れを抱く多くの人々に読まれたサイトであり、そして、私もまた影響を受けた一人だ。博士後期課程を中退し、経済学の世界から全く土地勘のないIT業界へ飛び込む決断を後押ししたのは、彼の“The world is full of fascinating problems waiting to be solved.”(この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ)という名言である。
さて、この言葉の反映するハッカー精神とは以下のようなものである。第一に、問題解決への楽観である。彼によれば、問題は単なる障害としてではなく、解決することで新たな知識や洞察を得ることのできるものだととらえるべきなのだ。第二に、探求心や創造性を重視する姿勢である。問題とは探求の対象であり、創造性を刺激してくれるものであり、それに挑むことでイノベーションが生み出される。そして最後に、探求の前提として、挑戦を肯定する自由の必要性を訴えている。「やってみなはれ」が松下幸之助の口癖だったのは有名なエピソードだと思うが、この精神は、それが日本だろうとアメリカだろうとイノベーティブな環境を作るうえでは欠かせないのだ。楽観主義と自由こそが企業を、そして日本経済をイノベーティブたらしめるのである。もちろん、レイモンドも「心構えは技能の代用にならない」ことは明言しているが。
以上を踏まえて、私からは読者の皆様に以下の提案をしてみたい。まず、皆様の企業において市民開発を促進することである。もちろん、市民開発の実施がEUCと同様にセキュリティリスクや機密情報の漏洩を招くことはあってはならない。非常に繊細な匙加減を求められるが、当社には情報セキュリティやシステム監査に関する専門知識を持ったカウンセラーがいるほか、売上高数千億円の企業に対して市民開発に向けたガバナンス体制整備の支援実績があり、これを活かすことができる。
同時に、皆様の企業で働く社員がハッカー精神をインストールし、創造性を発揮できるよう、教育・リスキリングを行う必要もある。当社では、そのようなニーズに応えるためのサービスを複数展開している。従業員の「仕事のやる気」を可視化した上で戦略的なモチベーション・マネジメントを実現するサービス「SCM2」や、マネージャー向けのモチベーション・スキル革新プログラム「NAM3」、想像力だけでなく創造力を持ったリーダーを育成するための教育支援サービス「CPNL」がそれである。また、市民開発を展開するうえでは情報セキュリティをはじめITに関する最低限の知識が必要だが、そのためのツールとして、ゲーミフィケーションの手法を活用した「Cyber Cross」も用意している(なお、このアプリケーションは当社社員が市民開発したものとなっている)。もちろん、企業の実情に即した教育支援策をスクラッチで作り上げることも可能である。是非、当社のサービスを活用いただければ幸いである。
関連ページ
Eric S. Raymond著、山形浩生・村川康・Takachin訳、“How To Become A Hacker,” https://cruel.org/freeware/hacker.html
林昌宏「DXの本質:私の考察」、ホンネとタテマエ 第63回、https://www.k2wave.biz/tatemaetitle/%E7%AC%AC63%E5%9B%9E%EF%BC%9A%E3%80%8Cdx%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%B3%AA%EF%BC%9A%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%80%8D
「モチベーション・マネジメント戦略クリニック」、https://www.k2wave.biz/r-2-scm2
「ITマネージャーのモチベーション教育」、https://www.k2wave.biz/it-nam3
「システム刷新に向けた創造的ITリーダー育成プログラム」、https://www.k2wave.biz/cpnl